京都嵯峨野にある、桜及び紅葉の名所のお寺でもある。
昨日小雨の中、両寺院を訪れた。
天龍寺のだるまの掛軸。
そして龍安寺のつくばい。
天龍寺は、霊亀山 / 臨済宗天龍寺派大本山
龍安寺は、大雲山 / 臨済宗妙寺派である。
疲れた心を癒してくれる、私のとっておきのアイテムである。
だるまはご存知のように、壁に9年向かい座禅を組んだ。
自分の未熟さを知り、そして反省し治療にはげむためのイメージである。
つくばいは、『吾れ唯足ることを知る』と成り、知足るものは貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し、という禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道である。
石庭の美しさを見ながら、ここでいう足るを知るとは、人間は誰しも欲望がありますが、これのみを追求していては、喜びもうまれません。
それがかなわなければ不平、不満におちいります。
今日のように豊かで恵まれた社会では、生きがいや喜びは物やお金よりも、心に響く感動です。
感動は人と人とのふれあい、生き物とのふれあい、芸術などですが、日本人の心には歳時記にも見られるように、自然の風物や、季節の移り変わりも生活の中に取り入れて、楽しんできた伝統的な優れた感覚があります。
それを持ち続けることが、新しい生き方にもかなうのです。
この2つのアイテムが、疲れた心を癒してくれる。