1995年1月17日、阪神淡路大震災により6400余人の尊い命が失われた。
私の伯母も家屋の下敷きになり、この世を去った。
その当時は、茨木市の診療所で業務をこなしていた。
震災の日は朝7時に診療所に到着。床に散乱している歯科器具を集め、改めて滅菌消毒し、診療開始に備えていたらドクターやスタッフが4~5名出勤してきた。
当日は予約が100名ほど入っていたが、実際に来院されたのは5名のみ…。
診療の合間、中継される神戸の火災を心痛な面持ちでテレビに見入っていたスタッフの姿が、今もまぶたに焼き付いている。
あれから21年。
震災後の何年かは防災の意識はしっかりとあったのだが…。
いつ来てもおかしくないとされる南海トラフ地震。
大災害に見舞われた時の患者様・スタッフの安全確保や避難方法について、今一度検討せねばと思わされた昨日であった。